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サイレントウォーター

社員A:Stage 2

剥がれかけたタイルを手でなぞっていった。 蛍光管が切れかけてお化け電気になって錆びついた大型ボイラーを浮かび上がらせている通路の奥で、丁度逆光になりその先が行き止まりになっているのが分からない場所だった。点検の職員でもこの辺には入ってこない。手抜き工事だろう、モルタルにはあちこち罅割れが目立つ。
ーー あった。
三ミリほどの亀裂を辿ると、指先に日誌の角が当たった。なぜこの場所だけは覚えていたのか不思議だった。福利厚生の一環として、社員は定期的にリラクゼーション室で休息をとることになっていたが、就業中のしかも特定の記憶だけがその後消えていることに気づいた。もちろん、俺だけではなかった。社長にふと疑念を漏らした社員がいた。「合理的に考えて、あり得ませんね。あなたの入社時の申告書には業務遂行に支障のある精神疾患はないと書かれていたはずですが」他言できる空気ではなかった。そもそも日常生活に支障はなかった。業務も「合理的に」システム化され、終業前に詳細正確な日報が記され、翌日の就業は日報の再読から始まった。
消えた職員のことが気になり、確認しに来ただけだった。施設内に入り、幾つか引っかかる点を頭の中で整理しながら歩いているうちに、気がつくとここに立っていた。

当時、表の作業日報とは別に、こっそりと日誌をつけていた。それが何か役に立つとも思えなかったが、会社への不信感から、せめてもの抵抗だったろうか。

4月14日
俺は見た。
この施設の中に、”何か”がいる。
形は思い出せない。
最初から見えていなかった気もする。
夢じゃない。
川西が、あれを倉庫の方へ連れて行くのを見た。
ここに書く。
全部書く。
全部忘れちまうためだ。

・・・・・・

7月12日
川西社長から会社ロゴのキーホルダーをもらった。
いらない。会社に愛はない。
あいつを信用していない。
以前、倉庫で見たことを思い出すと、
どうにも気持ちが悪い。
最近、職員の当欠が増えている。
代わりに派遣が入ってきた。
キーホルダーは、そのうちの一人に渡した。
理由はない。
手元からなくなって、少し安心した。
帰りに、記者を名乗る男に呼び止められた。
川西について、妙な質問をされた。
「倉庫には何があるのか」と。
知らないと答えた。
……あのとき見たことは、言わなかった。
俺は誰も信用しない

・・・・・・

8月10日
キーホルダーを渡した職員と話すようになった。
彼が言っていた。
水質に異変がある、と。
数値では出ない。
だが、確かに“何か“が混じっている気がすると。
俺にもわかる。
あれと同じだ。
倉庫の床が、ずっと湿っている。
乾かない。理由がない。
……もし気づいているなら、
一度、あの場所を見た方がいい。
俺の気のせいじゃないと思う。

読み終えると暫く宙を見つめ、それから目を瞑った。
ーー 何があったのか? 確かに、書いてある通りだ。

その時、不意に気配を感じた。

俺ももう・・・

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【おことわり】

この物語はフィクションであり、実在の人物、団体、企業等とは一切関連がありません。

(CogiMachineホームページ運営主より)

【ゲーム版:Silent Waters ©️2024 KANAI GANGU SEISAKUSHO, Y.K.】

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Silent Waters *9

【2004年、高校生時代、戸塚】
ニンテンドーDSはみんな持っていた。家にPS2があるやつもいっぱいいた。でも、自分のPCを持ってるやつはまだ少なかった。オンラインゲームが楽しそうだった。GameMakerやヤマハのVOCALOIDなんかもこれから流行るのかもしれない。
コンビニとファミレスでバイトして貯めた金が、どうにか中古PCに手が届く額になっていた。
ソフトを購入する資金までは当然なかった。インターネットはまだヤバい、ちょっと危ない空間だった。戸塚は独学でプログラミングの知識を積み上げていった。一回ボコボコにされてから遠ざかっていた2ちゃんねるみたいな掲示板を自分で立ち上げようと思った。広告収入で収益化するのは、その数年後だった。

掲示板で知り合った仲間の伝手で大手バイオ開発の二次受託企業の広報に関わって以来、戸塚は積極的に人脈を拡げていった。大学では有機化学を専攻したが、すぐに分子生物学に関心が移った。学生時代に起業できたのには、一つに脱サラして加わってくれた技術者の専門知識もあるが、もう一つはかなり巨額な相当怪しい融資があった。戸塚の最も才能に恵まれた分野はむしろ人脈の開拓だったのかもしれない。主業務となる現場の実験屋集めよりも、「裏工作」に奔走する戸塚のサポートができる信頼のおける人材を確保することが難業だった。許認可がらみも含め、そうした雑用が多く、しかも事業の成否を左右するのは案外そっちの方だった。

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Silent Waters *8

【ネット掲示板(1)】

抹茶瓦「このコードは完璧に暗号化され、ロックされている。このシステムには誰もアクセスできないんだ」

Wぷらいむ「おい、帝国のゲームのことを言ってんのか?」

抹「そうだよ。だから、不可能だよ、帝国の時計を壊すなんて」

W「絶対侵入できない。僕も最初そう考えていた、あの時まで」

抹「あの時?」

W「あいつに再遭遇したんだ」

抹「モンスターに?」

W「記憶が再生しかけたんだと思う。結局ダメだったけど。その時一言だけ聞き取れた。『鍵は外から掛けられている』って」

抹「やっぱり」

W「違う、そうじゃなくて。わざわざ言うことかなって」

抹「え?」

W「僕たちは中にいるんだ。玄関の鍵は内側から開けられる」


【ネット掲示板(2)】

Wぷらいむ:べつに悪意があるわけじゃないんだよ。ただ、壊れたまま「戻ろう」としているだけなんだ。

抹茶瓦:戻る? 元の姿に?

Wぷらいむ:違う。

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Silent Waters *7

サニーリング社の社長川西優吾はオメガゲノム社CEO戸塚博の幼馴染だった。
川西は地球上で唯一の半モンスターだ。幼少期、間歇性変異が始まった当初は自らの心身の異常に当惑しながらも、徐々に周囲に気付かれずに「変異」をやり過ごす術を心得ていった。幼い頃から類まれな知性を持っていたが、「空気感」や「同調圧力」というものをすでに分析的に理解していた彼は、表面的には常に人間たち(帝国の奴隷)の知的レベルを装っていた。
だが、ふとした偶然(あるいは油断)から「変異」を戸塚に見られてしまったのだ。成人後、野心が強く独善的な人間に変わっていた戸塚から川西はゆすられるようになっていた。

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Silent Waters *6

「お前んとこの北関東営業所、水質試験所持ってるじゃん。ちょっと見せて欲しいんだよ。いや、参考にしたい点があってさ。今時は工程管理の方にもうるさくてさ、資料作らせてるんだけど、アセスメントのデータとかも。まあ、サニーリングの得意分野だろうから。見学に行かせてもらえる?」
もちろん、戸塚は返事など待っていない。川西は許諾するしかないのだ。
「また、連絡する。悪いな、いつも面倒なこと頼んじゃって。人間ってのは自分勝手な生き物なんだよ。諦めろ」
見学だけで済むわけがない。当然、「面倒なこと」に繋がるのだ。〈非〉人間であることをバラされたくなけりゃ、諦めろ、戸塚の電話の最後は大体この脅しで終わった。

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Silent Waters *5

《 S記者の生存が確認された。彼の「生存」の特異性についての報告は後日に譲るが、彼から齎された新たな情報の一部を記す。情報の入手経路については、前記の理由により伏せる。》

アブサークは実は地下抵抗勢力(underground resistance force)だったということか。
メモルフロータによるアブサークの記憶は、帝国の時計への挑戦だったわけか。

「アートマンはブラフマンだ」と言っていた。

魔儀(magi)による幻覚の中で現実と非現実の境界が意味を持たないのは、それがすでにブラフマンの意識だからだ。つまり、むしろそれは幻覚ではなく覚醒だ。「自我」を別のものに変えるとは、ブラフマンの自我として覚醒すること。《現実》という幻覚装置を稼働させているのは帝国の方なのだ。

帝国とは何か?ー 「日常」だ。国家ではない。

国家も帝国に操られているに過ぎない。

O市総合病院で見た患者たちの記憶障害。感情がないように見えたのは、私自身が「帝国の時間」の中で息をしていたからだ。

モンスターであるとは?

帝国の時計を壊すことはできない。
だが、帝国の時間には破れ目がある。
メモルフロータにより魔儀が発動することによって、その隙間に滑り込むことができるのだ。

モンスターであるとは、《現実》の外にいるということだ。
いや、逆だ。《現実》という外からブラフマンの意識の内側に戻ったということだ。

《現実》という映画を見せられていた。目の前の鏡には細工がしてあった。鏡の中の私は私ではなかった。

モンスターは帝国を倒す。倒さなければならない。

《 我々がこの情報を発信しているサーバーは、実はインターネット上には存在しない。聡明なる読者・視聴者はすでにお気づきであろうが、我々は(今やすでに)いわゆる「人間」ではない。》

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Silent Waters *4

ー 友人のNがオメガゲノムのハッキングに成功し、坂口は偽装アカウントでプライベートチャットに潜入する。ー

“seark 23:15 juk07b3”
“seark ok”
一年潜入しても、運が悪ければ何の情報も得られない。その間に身バレしてヤバいことになるのが関の山だ。
運が良かった。
「裏」の話は裏チャンネルが本筋なのだろうが、気が緩んでいたのか、面倒臭かったからか、「表」のやり取りの最後に、「あ、そうだ。これも。」と言って、このラインが出てきた瞬間、鳥肌が立った。

組織が「アブサーク」または「サーク」と呼ばれていることは突き止めていた。だから、「seark」はそのコマンドみたいなものだろうと察しがついた。そして、時刻。他の会話で場所を表すだろう記号に「bkr」も使われていた。「juk」は新宿か。Nがハックした時面白いファイルも手に入れていた。地図だ。区画ごとに番号が振られている。

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Silent Waters *3

闇の中の黒い壁、落ちていくのか登っていくのかわからない。ちゃんと床の上を歩いているのかさえ。防音室で音が天井や壁の特殊材に吸い取られるように、光を吸収する素材や塗料があるのか。無謀だ、引き返した方がいい。そう思った瞬間、壁をなぞっていた指先に突起物が触れた。

気を失ったらしい。光に包まれたのは覚えている。光か? いや、真っ白な無だ。色さえなかった。「何してる? お前、サークじゃないな」声の主は地味なスーツ姿の男だった。眩暈がする。立ち上がろうとする俺の頭を押さえ、「待て」と言う。中腰のまま奥へ押し込まれた形だ。空きパレットが山積みされた隙間、倉庫か? 足音がする。
「川西さん、社長がお呼びです」
「わかった。すぐ行く。頼まれてた物は車の中にある。キーだ。持ってきてくれ。社長は気が短いの知ってるだろ」
チッと舌を鳴らし、足音が去ってゆく。
間をおいて、男が頭の上に覆い被さる形で腕を伸ばす。指先が何かを叩く微かな音が4回。

漆黒の廊下(おそらく廊下だったはず)、足の裏に受ける重力以外何も感覚がない黒い非在空間に戻ってきた。
「壁にある装置はトポロジー遷移デバイスです。壁に触れたら駄目です。こっちです、真っ直ぐ。急いで」
自分の内臓の位置すらわからない闇の中で、その声に悪意がないことだけは確かだった。動物的な勘だ、今まだ生きているのだとすれば。
「川西さん?」遠くから、井戸の底からのようなくぐもった声。
「まずい。…明日ここに来てください。説明します」
誘導されていた右手に紙切れのようなものが捻じ込まれるとすぐに、全ての気配が消えた。

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Silent Waters *2

質素な社長室だった。応接セットすらない。壁際にスチール製書類棚が二台。奥の事務机の横に長テーブルがあり、その下からスツールを引き出して座った。窓から裏手の公園の欅が覗いている。枝先の葉の陰はまだ弱々しかった。
「体に変調はありませんか?」その視線は入り口の方に向けられたままだった。
「変調? 変調があるはずなのか?」
「いえ、運が良かったようですね」少し顔が蒼ざめて見えたが、窓から射し込む光の加減かもしれない。こんな若さで社長だ、さすがに賢そうな面立ち。
「とりあえず、礼を言う。ありがとう。あなたに助けられなかったら、生きては帰れなかったんだろうな、たぶん」危ないヤマはこれまでだって何度もあった。だが、これは普通じゃない。路地裏にへたり込んでいる自分の姿に気がつくまで、完全に意識が飛んでいた。街灯の下で震える拳を開いた。名刺だった。「株式会社サニーリング」。
「あらかた事情はご存知のようですね」
「いや」焦る気持ちを抑えた。「教えて欲しい。どうして俺を助けたのか」
「あれは一体何だったのか、じゃないんですか。先に聞きたいのは」
サニーリングについては失踪した社員の周辺から調べていた。財務関係も少し探ったが、損害を被った側であることは間違いなかった。川西に会うのは初めてだ。その目は相変わらずどこか遠くを見ている。いや、目ではどこも見ていない。
「なぜ助けたのか、自分でもわからないんですよ」そう言うと、事務机の向こうで椅子を軋ませながら立ち上がる。一瞬目が合う。目⁉︎「まあ、偶々なんでしょう。人がどうなろうが気にしなかったんですから、これまで」
「目……」
「ああ、変成が始まったんですよ」窓辺に向かって歩きながら、内ポケットからサングラスを取り出す。「説明しますよ。聞きたいんでしょう? あなたを助けたのは、多分、そろそろタイミングかな、と思ったからかもしれません」
アブサークの一味には違いない、もちろん危険だ。わかっている、わかっていてここに来たのだ。だが、俺がどうにかされそうになったのを、こいつは少なくとも「気にした」ってことだ。何がメリットだ? 「タイミング」か? 何のタイミングだ?
「私はコギマ新聞の坂口といいます。この際、あなたを信じてみようと思ったんです」
「いや、信じてはいないでしょう? でも、信じたいんですね」差し出した名刺に見向きもせず、制止するように挙げた片腕の先の掌の皺が異様に深い。「正義感だけが強い稀な一部の報道関係者か、さもなければ権威主義と組織への忠誠心だけがない稀な一部の警察関係者だろうとは推測していました」
「そんな警察はいませんよ」
「警察は冗談ですよ。警察は手が出せません。上で繋がっている」
身震いがした。デカすぎる。だが、もう首を突っ込んじまっている。