闇の中の黒い壁、落ちていくのか登っていくのかわからない。ちゃんと床の上を歩いているのかさえ。防音室で音が天井や壁の特殊材に吸い取られるように、光を吸収する素材や塗料があるのか。無謀だ、引き返した方がいい。そう思った瞬間、壁をなぞっていた指先に突起物が触れた。
気を失ったらしい。光に包まれたのは覚えている。光か? いや、真っ白な無だ。色さえなかった。「何してる? お前、サークじゃないな」声の主は地味なスーツ姿の青年だった。眩暈がする。立ち上がろうとする俺の頭を押さえ、「待て」と言う。中腰のまま奥へ押し込まれた形だ。空きパレットが山積みされた隙間、倉庫か? 足音がする。
「川西さん、社長がお呼びです」
「わかった。すぐ行く。頼まれてた物は車の中にある。キーだ。持ってきてくれ。社長は気が短いの知ってるだろ」
チッと舌を鳴らし、足音が去ってゆく。
間をおいて、男が頭の上に覆い被さる形で腕を伸ばす。指先が何かを叩く微かな音が4回。
漆黒の廊下(おそらく廊下だったはず)、足の裏に受ける重力以外何も感覚がない黒い非在空間に戻ってきた。
「壁にある装置はトポロジー遷移デバイスです。壁に触れたら駄目です。こっちです、真っ直ぐ。急いで」
自分の内臓の位置すらわからない闇の中で、その声に悪意がないことだけは確かだった。動物的な勘だ、今まだ生きているのだとすれば。
「川西さん?」遠くから、井戸の底からのようなくぐもった声。
「まずい。…明日ここに来てください。説明します」
誘導されていた右手に紙切れのようなものが捻じ込まれるとすぐに、全ての気配が消えた。






