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Silent Waters *2

質素な社長室だった。応接セットすらない。壁際にスチール製書類棚が二台。奥の事務机の横に長テーブルがあり、その下からスツールを引き出して座った。窓から裏手の公園の欅が覗いている。枝先の葉の陰はまだ弱々しかった。
「体に変調はありませんか?」その視線は入り口の方に向けられたままだった。
「変調? 変調があるはずなのか?」
「いえ、運が良かったようですね」少し顔が蒼ざめて見えたが、窓から射し込む光の加減かもしれない。こんな若さで社長だ、さすがに賢そうな面立ち。
「とりあえず、礼を言う。ありがとう。君に助けられなかったら、生きては帰れなかったんだろうな、たぶん」危ないヤマはこれまでだって何度もあった。だが、これは普通じゃない。路地裏にへたり込んでいる自分の姿に気がつくまで、完全に意識が飛んでいた。街灯の下で震える拳を開いた。名刺だった。「株式会社サニーリング」。
「あらかた事情はご存知のようですね」
「いや」焦る気持ちを抑えた。「教えて欲しい。どうして俺を助けたのか」
「あれは一体何だったのか、じゃないんですか。先に聞きたいのは」
サニーリングについては失踪した社員の周辺から調べていた。財務関係も少し探ったが、損害を被った側であることは間違いなかった。川西に会うのは初めてだ。その目は相変わらずどこか遠くを見ている。いや、目ではどこも見ていない。
「なぜ助けたのか、自分でもわからないんですよ」そう言うと、事務机の向こうで椅子を軋ませながら立ち上がる。一瞬目が合う。目⁉︎「まあ、偶々なんでしょう。人がどうなろうが気にしなかったんですから、これまで」
「目……」
「ああ、変成が始まったんですよ」窓辺に向かって歩きながら、内ポケットからサングラスを取り出す。「説明しますよ。聞きたいんでしょう? あなたを助けたのは、多分、そろそろタイミングかな、と思ったからかもしれません」
アブサークの一味には違いない、もちろん危険だ。わかっている、わかっていてここに来たのだ。だが、俺がどうにかされそうになったのを、こいつは少なくとも「気にした」ってことだ。何がメリットだ? 「タイミング」か? 何のタイミングだ?
「私はコギマ新聞の坂口といいます。この際、あなたを信じてみようと思ったんです」
「いや、信じてはいないでしょう? でも、信じたいんですね」差し出した名刺に見向きもせず、制止するように挙げた片腕の先の掌の皺が異様に深い。「正義感だけが強い稀な一部の報道関係者か、さもなければ権威主義と組織への忠誠心だけがない稀な一部の警察関係者だろうとは推測していました」
「そんな警察はいませんよ」
「警察は冗談ですよ。警察は手が出せません。上で繋がっている」
身震いがした。デカすぎる。だが、もう首を突っ込んじまっている。

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